今回のゲストは、かつて“主将”としてラグビー日本代表チームを率いた経験を持つ相沢雅晴さん。平尾誠二氏、大八木淳史氏といった往年の名選手たちとともに、1987年のワールドカップ第一回大会などを戦い、日本ラグビーの一時代を築いてきた伝説のラガーマンである。現在は、「スポーツ選手が現役を引退した後にできる社会貢献はないだろうか?」という考えから設立されたNPO法人「MIP スポーツ・プロジェクト」を主宰する相沢さんに、アスリートにとって「日の丸を背負うことの意義」、「代表の価値」とは何かをお聞きした。
(聞き手:BLUETAG.JP坂本仁志)
――80年代から90年代にかけ、日本のラグビー界を牽引してきた相沢さんから見て、世界における日本ラグビーの現況を分析していただけますか?
相沢 先日、オーストラリアに出かけた際に「パシフィック・トライネーション」を観戦してきました。「パシフィック・トライネーション」は環太平洋の国々を集めて戦う、ラグビーの新しい国際大会です。たまたま仕事の関係で肝心の日本戦を観ることはできなかったのですが、日本代表チームが強豪国トンガを打ち破るという快挙を成し遂げましたよね。確実に技術は上がってきていると感じます。
ただ、イングランド、オーストラリアなどの強豪国と比べてしまうと、いまだに越えられない壁があるんです。まず、競技人口が違いますよね。オーストラリアの場合、いわゆるアフターファンクションを楽しむためにラグビーをやっているような地域のクラブチームからプロのトップチームまで、5ステージくらいの層の厚さがあるんです。シニアのクラブチームですと、トップクラスでも本来の仕事を持ちつつ、その傍らで競技生活を続けています。州の代表チームになると、ようやく支援が得られるようになります。たくさんの人々がラグビーに取り組み、個人の力に応じて上を目指すしくみが出来上がっているんですね。
また、有望な選手を集めて養成するアカデミーなど、強い選手を育てる環境も整っています。近年では日本の選手も、そういった海外の強化研修に参加するチャンスが手にできるようになっていますが、僕らの頃はなかった。海外へ遠征に行って、強いチームと戦い、技術を磨くしかなかったんです。
また、今は日本代表に選出されると、協会と契約し、代表として活動している期間は金銭的なバックアップが得られます。そういった環境面・待遇面の整備は進んできてはいるものの、残念ながら、まだまだ世界における日本のレベルは低いといわざるを得ないですね。
――そもそも“代表”に召集されるということは、ラガーマンにとってどういうことなのでしょう?
相沢 やっぱり嬉しいものですよ。日本代表に選ばれることを目標に頑張っている人がほとんどじゃないのかな? ちなみに僕は、代表チームに入りたいがために、社会人になってポジションを変えたんです(笑)。それまでやっていた「ロック(スクラムの推進役。第二列でスクラムをがっちりと「lock=錠」する)」から「プロップ(スクラムの支柱。最前列でスクラムを安定させる役割を担う)」に転向しました。僕の身長ですと、「ロック」では小さかったんです。「プロップ」なら世界的に見ても遜色ない。このままでは日本代表になれないという思いから、ですね。
――相沢さんが初めて“代表”に選ばれたのは?
相沢 26歳の時でした。それまでも、代表チームの合宿に呼ばれたことはあったんですが、本来のポジションが「ロック」なのに、なぜか練習では「プロップ」をやらされるんです。「プロップ」はスクラム最前列の両サイドにいて、相手と押し合いをしなければならない。キツいポジションの割りに、ボールには触れられないという地味な役どころなんです(笑)。それでも、求められているならやらなければならない。幸い僕は「ナンバーエイト(最後方からチームを統率するフォワードの華)」の経験もありましたし、前述した通り「ロック」としてパスを出す役割もこなしてきました。スクラムだけでなく、フィールドプレーもできる「プロップ」だったので、結果的には良かったのかもしれません。
――やはり “代表”になることで、何らかの価値といったものは得られたのでしょうか?
相沢 “価値”とか“重み”とかはね、正直“代表”になってみないとわからないものです。当時はただ日本の頂点に立ちたい、プレーヤーとして目立ちたいという気持ちしかありませんでしたから。実際に“代表”になって、さまざまな体験を積み重ねてみて気づかされたことが多かったですね。
例えば、フランス遠征の際、国と国の代表同士というかたちでゲームをする場合、ホテルから試合会場まで白バイ(警官隊)が先導してくれるんです。日本国内でプレーしているだけでは、考えられないことですよね。ラグビーがメジャーなスポーツとして受け容れられている国か、そうでないかの違いもあるのでしょうが、日本の代表としてやってきた我々選手たちをノンストップで競技場へ連れて行ってくれるんです。鳥肌が立ったことを思い出します。
また、身近にいた外国人選手に“代表”としての誇りを教わったこともあります。ラグビーは外国人選手であっても、代表経験がなく、その国でプレーし、その国のチームに3年間所属した経験があれば、代表として選ばれる権利が貰えるのです。ニュージーランドが誇る“オールブラックス”が優勝した際、メンバーのひとりにギャラハという選手がいましたが、彼の国籍はイギリスでしたしね。
日本で初めて代表に選ばれた外国人プレーヤーは、ポポイ・タイオネというトンガ人のプレーヤーでした。彼が日本代表チームに加わり、海外遠征で気を吐いたことがあったんです。それは、古豪のスコットランドを相手に、僕らが接戦で喰らいついていた時のことです。スコットランドの選手たちにとって、この状況は屈辱ですよね。ラフプレーも辞さない不穏な空気が流れていました。でもポポイは引かなかった。たどたどしい日本語で「俺は、自分を代表選手に選んでくれた日本のために死ねる!」と、果敢に敵陣へ突っ込んでいったのです。案の定、ポポイは敵のディフェンスに潰され、首を故障してしまったのですが、代表として全力を尽くすことの意味を知らされましたね。それほど彼にとって一国の代表としてプレーすることが重要だったんでしょうね。
そういう出来事や経験を経ると、自然と滲み出てくるんですよ。国の威信をかけて戦う “代表の重み”が。
――戦っていく中で“代表”としての意識や矜持が膨らんでいったんですね。
相沢 そうですね。結局、ラグビーもサッカーもそうですけれど、チームプレーを要求される競技は、仲間との連帯感が必要になってくるじゃないですか。普段は異なるチームで活動している選手たちが、それぞれ召集され、ある一定期間一緒にプレーするわけです。本当はできるだけ長い時間をともに過ごしたほうがいいのでしょうけれど、そうもいかない。そんな時「国を代表して戦うんだ!」という気持ちがチーム内の絆を深める要素になると思うんです。
――“代表”として戦う時と、そうではない時……ほかにはどんな差異が生じましたか?
相沢 いくら外国勢が強いといっても、負けるつもりで試合に臨んでいたわけじゃないですからね。自分たちができる最善のトレーニングをして、戦略面、戦術面での強化にも努めてきました。常に勝つつもりで戦ってきました。でも、それだけじゃあ勝てない。“代表”という看板を背負うことが、メンタリティの部分で大きな支えになりましたし、国のために戦うという熱い気持ちが好プレーにつながったこともありました。ですから、僕らのように代表経験のある選手は、後輩たちにそういったメンタリティの部分を伝えていかなければならないと感じましたね。
――なるほど、チームとしての機能が求められるラグビーでは、“代表”という肩書きが個々の絆とモチベーションを高め、チームワークを引き出す原動力になったんですね。とはいえ、日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張るご苦労もあったのではないでしょうか?
相沢 基本的なゲームの流れは、平尾(誠二選手)に任せてましたよ(笑)。ポジションが「プロップ」ですから、スクラムの最前線でゲーム全体の状況を把握することが難しかったですから。ただ、重要な場面で狙うか狙わないかは、僕が決めていました。責任はすべて自分が持つという意識でしたね。
キャプテンがスクラムを組んで、5mも10mも押されてしまったら、誰もついてこないでしょう(笑)。そういった意味では、常に完璧を目指してトレーニングに励みましたし、代表に選ばれたこと以上に、プレッシャーを自らに課していました。
――引退後、一ファンとして現在のラグビー日本代表をウォッチしていてどう感じますか?
相沢 僕らの頃とはルールもプレースタイルも変わってきていますから一概には比較できませんが、ここ数年の代表チームを見ていて、ボールを奪い合うコンタクトの部分などで非常に強くなってきていると思いますね。強国トンガとも互角にわたりあえる力を持ちつつある。
ただ、これは自分の現役時代の経験なのですが、僕ら代表チームがまさに海外遠征に出かけようとしていた際、空港の売店に並んでいるスポーツ新聞を見かけたんですよ。その見出しがラグビーの「明治大学×慶応大学」の記事だった時は愕然としましたね(笑)。もちろん選手たちには、代表としての自負や意識もあります。スポーツとしての注目度が低かったのかといえば、そうでもない。当時ラグビーは、サッカーよりも人気のある競技でしたから。でも、それを支える協会や関係者、そしてマスコミ、ファンの一体感に欠けていたような気がします。
その点、今日あるサッカーは素晴らしいですよね。小学生や中高生といったサッカー少年からトップリーグの選手にいたるまで、代表の重み、代表になることの意義を理解している。協会は競技の普及からファンの育成にいたるまで積極的に取り組んできました。“代表”をみんなで応援しようという空気感をさまざまなかたちでつくってきた結果ですよね。サポーターの野次も辛口ですけど、それだけファンが一丸となっている証拠でしょう。今後ラグビーにも、そういった雰囲気づくりが必要なのかもしれません。
――ところで、個人競技に取り組んでいるアスリートについてはどう思われますか?
相沢 例えば、タイムを競う陸上競技などはシンプルですよね。マラソンだったら、2時間5分を切れば世界記録だとか、目標値が明確ですよね。代表に選ばれるか否か、その結果が誰の目にもハッキリとわかりますから。選考対象となるレースに向けて、自らを調整し、いい成績を残せなければ代表にはなれない。調整に失敗したらそれまでの選手だと評価されてしまう厳しい世界です。それだけ代表になることの尊さ、重みが違うと思います。
――では最後に、これから“代表”を目指すさまざまな競技のアスリートたちにエールを贈っていただけますか?
相沢 とっても月並みな言葉ですけど、僕は「夢は見るもの」だと思っています。「夢は見るものじゃなく、叶えるものだ」という人もいるでしょうけど、まずは目標をしっかりと見定め、それに向けて頑張ることが大切だと思うんです。世界を相手に戦うにはどんなトレーニングを積めばいいのか……。ビジネスの世界でも数値目標を設定して、達成するためのプランを考えるでしょう? 夢を実現するためには何をするべきか考え、行動に移すことが必要です。
また、競技者なら「自分がまわりにどう見られているか」を意識したいですよね。人間として魅力がなければ、いくら“代表”でも誰も応援したくないでしょう。現役引退後、よく周囲から「あと10kg減量したら?」とアドバイスされるんですが、いまだに減量できないでいる(笑)。そんな僕が偉そうなことは言えませんが、セルフマネージメントができないと上を目指すことはできないと思います。競技のメジャー、マイナーを問わず、アスリートの皆さんには頑張ってほしいですね。
[プロフィール]
ゲスト・相沢雅晴
元ラグビー日本代表。国学院久我山高校、明治大学とラグビー部で活躍し、株式会社リコーへ入社。リコー時代には、プロップとして日本代表に選出され、第1回ワールドカップ出場。また、日本代表の主将も務めた。現役引退後は、日本国土開発株式会社ラグビー部の監督に就任し、関東1部リーグにチームを昇格させるが、ラグビー部の解散に伴い退任。その後、吉本興業スポーツ事業部チーフプロデューサーを経て、現在は子どもたちを対象としたスポーツ文化の普及、アスリートのセカンドキャリアの創出などを活動の中心とした「MIPスポーツ・プロジェクト」の事務局長を務める一方、各種TV番組への出演、専門誌での連載執筆、スポーツ振興への積極的なコミットメントなど、活動の領域をますます広げている。
http://www.mip-sports.com/
