昨年暮れに開催された「FIFAクラブワールドカップジャパン2006(トヨタカップ)」では、オセアニア代表「オークランドシティFC」の一員として2試合に出場。実に2年半のブランクを経て、その勇姿を披露してくれたのが、サッカー元日本代表の岩本輝雄さん。
Jリーグ在籍時代は多くの栄光を手にするとともに、怪我に泣き、幾多の挫折を味わったこともある。また今回のトヨタカップ出場の裏にも、アスリート人生を賭けたさまざまな努力と苦労があった。そんな岩本さんに、「アスリートが置かれている競技環境とは?」というテーマでお話を伺った。
(聞き手:BLUETAG.JP《アスリー島》・コミュニティマネージャー/菅野芳伸さん 構成:坂本仁志)
菅野 マイナースポーツに携わるアスリートから「競技に打ち込める環境が整っていない」という声をよく聞きます。たとえメジャーでもトップ層とボトム層では「環境や待遇面」に大きな差があるように思えますが、その点、岩本さんはどのようにお考えですか?
岩本 確かに聞きますよね。僕もほかの選手よりはそういう経験をたくさんしてきたので、よくわかります。ただ、サッカーは小さい頃から好きだったので、怪我をしても1日でもピッチに早く戻りたいっていう気持ちだけで、あんまりネガティブには感じなかった。落ち込んでいる暇はなかったですね。
菅野 怪我を克服するというご苦労を何度も体験されてきましたが……。
岩本 23歳の頃(日本代表時代)、一番大きな故障を経験したんです。膝のじん帯を切って、半月板もやっちゃって。でも、その頃の僕はまだ線が細くてね。走ることはできないけれど、筋トレならできる。今は身体をつくる時期なんだと割り切って、ウェイトトレーニングに励みました。あの時期があったから、ここまでやれたんだと思いますよ。
菅野 1年間のリハビリ期間には、たくさんの人のフォローもあったんじゃないでしょうか?
岩本 いいトレーナーにも出会えました。チームスタッフではなく個人的に知り合った方なんですが、精神的に助けられたし、彼の助言が大きかった。自分の身体を知り、どうすれば自分をベストのコンディションに持っていけるかを学びました。身体がどんどん変わっていくので、楽しかったですね。あとは、フジタ時代からの付き合いだったエジソンにもよくしてもらって。いろんな人に支えてもらったような気がします。
菅野 往時はまだJリーグがスタートして間もない頃でしたよね。復帰に向けてさまざまな努力をされてこられたと思いますが、岩本さん以外にも怪我をしてチームを離れていく選手、またリタイアしてしまった選手もたくさんいらっしゃいました。そういった状況を間近に見て、感じたことはありましたか?
岩本 仲のいい選手が辞めていっちゃうのは、寂しかったです。でも自分自身のことで精一杯。不思議と辞めたいとは思わなかったし、とにかくがむしゃらに頑張ってましたね。
菅野 マスコミを含め、まわりの評価がガラリと変わって、モチベーションを維持するのも大変だったんじゃないでしょうか?
岩本 いい時、悪い時の差が激しかったですよ(苦笑)。気にならなかったといえば嘘になるけど、「もういいや」という感じで楽に考えてましたね。
菅野 当時は、選手たちのフィジカル面、メンタル面のケアをチームがバックアップしてくれる例って少なかったのではないかと想像しますが、環境面をもうちょっと改善して欲しいと感じたり、こうすればもっと選手が伸びるのに……とお考えになったことはありませんか?
岩本 現在はいろいろなトレーニング法が開発され、「自分にどれが合っているか?」あるいは「どれが必要か?」を選び取れるようになってきましたけど、チームとしてのケアは今ほど充実していなかったと思います。ただ設備的な環境面に不満はなかったですし、「自分の身体のケアは、自分の責任」という選手本人の意識が確実に高まってきていますね。個人的に優秀なトレーナーを見つけてきて、専属トレーナーとして雇ったり、選手同士が集まって自主的に合宿を組むこともありますしね。
菅野 なるほど、意識の高さがアスリートとしての寿命をも延ばす、ということになるんでしょうね。
岩本 とにかく自分の身体を知ること。そして努力して結果を出せば、まわりも認めてくれる。いいプレーをすれば、専属トレーナーを雇うなんてわがままもチームは許してくれますからね。そういう意識を養う環境面が、もし若い時に揃っていたら……。きっと僕も世界で闘えていたと思いますよ(笑)。
菅野 かつて岩本さんが、清水秀彦監督率いる「ベガルタ仙台」に在籍されていらした際、取材で練習風景を拝見させていただいたことがあるんですが、あの頃は環境面を含め、とても充実した競技生活を送られていたんじゃないかと感じました。清水監督との信頼関係もしっかり築かれていたようですし。
岩本 そうですね。僕だけではなく、どんな選手にもいえることですが、人との出会いは本当に大きいと思いますよ。せっかく才能を持っていても、人間関係で力を発揮できないケースがある。それと、サッカーは11人でやる団体競技ですが、個人としてのこだわりや意地があります。他人の意見なんて聞かないっていう選手が多いと思いますけど、ひとりで(自分自身のコンディションを管理すること)は限界がありますよね。冷静に第三者の目で見た意見をぶつけてくれる人との出会いって、とても大切だと思いますよ。若い頃はあまり考えなかったことですけれど(笑)。
菅野 20代前半は、あまり意識してなかった?
岩本 えぇ。なにしろ余計なことに気を回さなくても身体は動きますからね(笑)。清水監督からベガルタ仙台に誘われる前、一時ブラジルへ渡ったことがあるんですよ。向こうのトップチームに合流させてもらって選手たちと練習しましたが、奴らは本当に巧い。その上、フィジカル面がものすごいんです。とにかく走る! 彼らに刺激を受けて、走り込みを徹底しましたね。年齢的には20代後半だったのですが、そのおかげでベガルタ時代は身体の動きが違いました。また、ベガルタに入ってから、とても素晴らしいトレーナーにもめぐり合えました。きっかけって、いろいろなところに転がっているんですよね。
菅野 今回は「アスリートが置かれている競技環境」というテーマでお話をお聞きしていますが、話題性の高いサッカーなどメジャーなスポーツに比べ、マイナーな競技に取り組んでいるアスリートたちは、さまざまな面で苦労を強いられているという現状があります。天国と地獄の両方を体験されてきた岩本さんから、そうしたアスリートたちへ、何かメッセージはございますか?
岩本 例えば、BLUETAG.JPで支援されている競技のひとつにセパタクローがありますよね。セパタクロー、実は大好きなんです。たぶんボールが(扱い慣れた)サッカーボールなら、僕もそこそこイケますよ(笑)。あれはやってる僕自身が楽しいし、お客さんも楽しめるスポーツだと思うんですよね。実際、練習の合間に3on3でやったことがあるんですけど、オーバーヘッドキックを連発すると、練習を見に来てくれたサポーターの反応が凄い! スポーツとして観客を魅了する要素をたくさん持っているので、なぜもっと注目を浴びないのかが不思議です。これは、ほかのマイナースポーツも、もちろんサッカーも一緒だと思うんですが、選手の皆さんがどんどん(自分の携わっているスポーツを)アピールしていくべきだと思います。TV番組に出たり、派手にPRするだけではなくって、興味を持ってくれるファンを集めて地道に知名度を上げていく活動を続けるとか……。選手生活との両立は大変かもしれませんが、どんなスポーツにも魅力はありますから、ぜひ頑張って欲しいですね。
菅野 ところで、過日開催された「FIFAクラブワールドカップジャパン2006(トヨタカップ)」では本当にお疲れ様でした。「オークランドシティFC」に加わった際は、選手としてまた一からのスタートラインに立ったわけですが、ご苦労も多かったんじゃないでしょうか? 貨物用のコンテナをゴールに見立て、シュート練習をされた……なんていうエピソードも伺っていますが。
岩本 そうですね。でも基本的に苦労を楽しんじゃうタイプなんでしょうね。大変でしたけど毎日が面白かった。スペインに渡って、バルサ(バルセロナFC)の試合を観て、「やっぱりピッチに立ちたい」という一心でトライしたことでしたから。
菅野 約2年半のブランクを乗り越えて、でしたね。
岩本 技術は落ちないんですよ。歳とともに衰えていくのは身体の“キレ”なんです。まだ「オークランドシティFC」に加わることが決まっていなかった夏あたりは、ひたすら走っていました。その後、ニュージーランドに渡ってからは、とにかくゲームをこなして“勘”を取り戻すことに専念しました。怪我だけには気をつけて、10月から12月10日までの45日間を練習に明け暮れ、なんとか試合に間に合いましたね。
菅野 きっと過去10年の蓄積がいい方へと作用したんでしょうね。で、どうでしたか? 肝心のトヨタカップは?
岩本 最高でしたね! もうちょっとやりたかったくらいです(笑)。2年半、確かに苦しんだんですが、トヨタカップという檜舞台でプレーすることができて、すべてが報われたという気持ちでいっぱいでした。身体のキレもすっかり戻っていて、正直いうと「まだまだ現役でいける!」って思っていたほど。試合後、インタビューを受けて「どうですか? 最後の引退試合を終えて」なんて聞かれた時は、「(引退するかどうか)わかりませんよ」ってコメントさせてもらいましたから(笑)。
菅野 時に「オークランドシティFC」はアマチュアチームでしたね。競技だけに集中できる環境だったのですか?
岩本 いえいえ。みんな自分の仕事をやりながらです。トラックの運転手もいれば、学校の先生もいる。TV局の職員やインタリアデザイナーなど多彩です。厳しい環境の中で必死に上を目指そうと頑張っている。
菅野 日本のサッカーとの違いや発見などはありましたか?
岩本 下手なんですけど(笑)、とにかく当たりが激しい。横パスなんて禁止ですから、試合運びもスピーディですね。復帰以前、Jリーグの試合を観る機会があって「今の日本のサッカーは早い」と痛感しました。果たして自分があのスピードについていけるのかな? と悩んだこともあります。でもニュージーランドのサッカーの方が格段に早い! 日本人選手がフルシーズン、あのスピードについていけるかと考えると、もしかしたら難しいかもしれないですね。
菅野 今後は、どういった活動を予定されているんですか?
岩本 近々、子どもたちを対象にしたサッカー教室をスタートさせるつもりです。一流のサッカー選手を目指す上で、子どもの頃に吸収しておかなければいけないことって、たくさんあるんです。しかし、小学生など地域のクラブチームの指導者は皆、父兄であったり、アマチュアのコーチだったりするんですよね。プロの視点から技術を教える機会をつくってあげたいという気持ちがあったんです。また、海外の子どもたちにサッカーの輪を広げていこうという企画も動いています。サッカーがあまり盛んではない国を訪れ、その楽しさを伝えていきたい。
菅野 指導者として競技環境の底上げに努める、ということですね。
岩本 それから、アスリートは現役後の生活が厳しいですよね。例えばサッカーの場合は、ゲームの解説者やスポーツニュースのコメンテーターなど、ほんの一握りの人しか引退後の仕事が約束されていない。先ほどお話したサッカー教室のコーチといったかたちで、引退後の活躍の場を設ける試みにも挑戦していきたいです。とにかく今はフィールドの外で、いろいろなことにチャレンジしたいと思えるようになってきました。もしかしたら、ようやく現役にピリオドを打つ覚悟が出てきたのかもしれません(笑)。
[プロフィール]
ゲスト・岩本輝雄
1972年、神奈川生まれ。元サッカー選手。フジタ工業を経て、ベルマーレ平塚に在籍。94年、日本代表に選出され、国際Aマッチ9試合出場2得点。その後も、Jリーグを中心として華々しい活躍を続けた。昨年12月のトヨタカップでのプレーを最後に現役を引退。現在は、各種TV番組への出演、専門誌での連載執筆、スポーツ振興への積極的なコミットメントなど、活動の領域をますます広げている。
聞き手・菅野芳伸
1959年、福島県生まれ。BLUETAG.JPでは、スポーツファンがつくるコミュニティサイト「アスリー島」において初代コミュニティマネージャーを務めている。また、広告・販促企画のプランニングに携わるかたわら、ベースボールマガジン社『サッカークリニック』誌などでの取材・執筆やインタビュー、W杯ドイツ大会をはじめとする各種サッカー関連TV番組の監修・構成・ナレーション原稿を担当するなど幅広く活躍中。
